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山形新聞2008年12月08日掲載記事
遺徳しのび慰霊の献花 工藤艦長(大9卒)に救われた元英海軍大尉

献花

 太平洋戦争中に海上を漂流していた英国兵四百二十二人を救助した高畠町出身の旧日本海軍駆逐艦「雷」(いかづち)の工藤俊作艦長の遺徳をしのぼうと、当時の生存者である元英海軍大尉サムエル・フォールズさん(89)が来日し、七日、埼玉県川口市にある工藤艦長の墓参りを行った。

 工藤艦長は1942(昭和17)年3月2日、ジャワ島北東のスラバヤ沖海戦で日本海軍に撃沈された英巡洋艦「エクゼター」と英駆逐艦「エンカウンター」の生存者が海上を漂流している現場に遭遇。敵潜水艦などの脅威があった中で救助命令を出し、全乗組員が一丸となって英兵422人を救出した。雷の乗組員は、油で汚れた英兵の体をきれいにふき取り、食料と衣類を提供して丁重に処遇。工藤艦長は救助した英士官に英語で「あなた方は日本海軍の名誉ある賓客であり、非常に勇敢に戦った」とスピーチした。

 この救出劇は歴史に埋もれたままになっていたが、エンカウンターの乗組員として救助されたフォールさんが2003年に工藤艦長の消息をたずねて来日。調査を依頼されたジャーナリストの恵隆之介さん(那覇市)が消息を突き止め、関係者に取材して工藤艦長の人徳的行動をまとめた単行本「敵兵を救助せよ!」を06年に刊行した。

 フォールさんは海軍中佐工藤俊作顕彰会(実行委員長・平沼赳夫元経済産業相)の招きで来日し、7日は工藤艦長の墓がある川口市の薬林寺で営まれた墓前祭に出席。工藤艦長の遺影の前で焼香した後、初めて墓前に赴き、献花して慰霊した。

 フォールさんは、記者会見で「ジャワ海で24時間も漂流していた私たちを小さな駆逐艦で救助し、丁重にもてなしてくれた恩はこれまで忘れたことがない。工藤艦長の墓前で最大の謝意をささげることができ、感動でいっぱいだ。今も工藤艦長が雷でスピーチしている姿を思い浮かべることができる。勇敢な武士道の精神を体現している人だった」などと述べた。

 工藤艦長の生家から親族代表として墓前祭に出席した工藤吉雄さん(59)=高畠町竹森、農業=は、「フォールさんに墓参りしていただき、俊作おじさんも喜んでいると思う。高齢で体が不自由にもかかわらず来日してくれたフォールさんの生き方にも感銘した」と話していた。

工藤艦長
工藤俊作(大9卒)
1901(明治34)年、屋代村(現高畠町)竹森生まれ。県立米沢中(現米沢興譲館高)を経て1923(大正12)年、海軍兵学校卒。駆逐艦「太刀風」、同「雷」、同「響」の館長を歴任。戦後は川口市に居住。大企業からの誘いを断り、医療事務に従事した。1979(昭和54)年に78歳で死去。

 

山形新聞20081208