戦後75年言葉を刻む・梅津伊兵衛さん(S25卒)・地方紙連携企画
(2020年7月14日山形新聞より)
飛行場の碑のそばに立ち、グライダーで滑空した少年時代に思いをはせる梅津伊兵衛さん(S25卒)
=米沢市八幡原1丁目(2014年8月17日山形新聞)
■憧れだった空は戦時中、戦いの場となった 高畠町・梅津伊兵衛さん(S25卒)
旧制米沢興譲中の滑空部員だった梅津さんは、米沢市の八幡原飛行場でグライダーの滑空訓練に明け暮れていた。風に乗るのが楽しい―との純粋な憧憬は、次第に軍事色に染められていった。航空兵候補者を養成するため、軍の教官らが学生の訓練を指導するようになった。10代前半の飛行機少年たちの思いは、海軍飛行予科練修正、戦闘機乗りを目指す心へと変わっていった。梅津さんが戦後、飛行場に行くことは亡くなった。
元記事:空への憧れ いつしか 滑空部(2014年8月17日山形新聞)