藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

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山上一郎(やまかみ いちろう)先生

山上先生

  1. 山上一郎(やまかみ いちろう)先生
  2. 教諭(定) 昭和23年4月〜26年3月
    教頭 昭和45年4月〜47年3月
    校長 昭和55年4月〜56年3月、昭和58年4月〜60年3月 ※第24代、26代校長
  3. 国語、社会

  4. 近況と申されても、からだはダメ、活動しているのは妄想だけ。
    行きつ戻りつの本読みと思索思案の明け暮れ。読み直しての和辻哲郎への再認識、自由と民主主義がかくれ持っていた虚構と欺瞞、丸山真男の声望への迎合、耳慣れない臨床哲学の領域とは?〜鷲尾清一を読んでいると、アウトラインがおぼろげに浮かんでくるものの、学際の世だからこそベーシックははっきりしたい。氷壁に立ち向かうクライマーにも似た艱難と魅力に身ぶるい、まさに一喜一憂〜とりわけ経済学者、歌人というだけでは尽きない思想家としての大熊信行、すぐそこの方なのに、学問、思想という精神文化では、いよいよ雲の上の存在と知り二度びっくり。「日本人の精神の空白にとって致命的なのは国家意識の喪失だ。革命主義も平和主義もナショナリズムも市民主義もすべてが一国家と自己の関係を自覚的に捉えようとしない精神の空白の産物だ」という厳しくも正鵠を射た見方、国家否定の思想も、実は強力な国家意識のひとつだったことも気付かずに国家と自己の存在との緊張関係の意識を喪失したまま過ごしてきた忸怩たる思い、思想家たちの改めての注目に頷いたり・・・
    さしずめ、そんな日々の近況だ。
  5. 教頭時代〜最盛期のいわゆる学園紛争関連。
    校長時代〜うって変わった学校。下校時に毎日のように校長室に声をかけて帰宅していた生徒たち。
    校長講話(例:弱くても勝つなど)を支えに頑張り通して大学合格を手にした。と自宅まで報告に立ち寄ってくれた生徒たち。
    「報道通りに負けるのが決まっていたら出場させない。勝つかも知れないから出場許可した」と激励した県野球大会で、日大山形と8回まで同点で競った奮闘ぶり。
  6. 学校の歴史は脚色しないこと。心が離れていく会員が増えるだけ。片寄らないこと、全員フラット。