藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

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土澤 幸雄(つちざわ ゆきお)先生

土澤先生

  1. 土澤 幸雄(つちざわ ゆきお)先生
  2. 教師として(昭和32〜45、昭和63〜平成7)20年
    尚、体文後援会役員として、平成7〜現在。体文会長として、平成13〜現在。
    生徒として、1950年入学〜そして現在2008年。興譲館との関り、50数年。
  3. 体育・保健(尚、外国語(英)・・・授業の経験なし。)
  4. バレーボール部(昭和32〜45、昭和63〜平成7、20年間。)強烈な想い出ばかし。
    スキー部(昭和32〜38。昭和33年県優勝。昭和33、34インターハイ)
    応援団(昭和32〜40)
    代理顧問(大会、合宿等)水泳、体操、山岳。思い出 多。
  5. 健康・体力良好・・・健診全て正常値。日々運動により快汗、快晩酌。
    興譲館高体文後援会長(平成13〜現在)・・・制約される部活の充実強化、学校・保護者・部OBの連携、協調、充実に努力中。
    米沢地区バレーボール協会長(県協会副会長)(平成7〜現在)・・・多くの関係連盟の充実、強化に努力中。平成19年秋まで興譲館、平成20年春より高校女子のバレーコーチ。しごきに快汗。
  6. 昭和30年代初期からの教師。今は故人も多く、そういう方々の分も含めて書きますので、少々長くなります。
    • 白布マラソン:昭和25年以来の伝統行事。千喜良校長の訓示「本校は修学旅行はやらない。その代わりマラソンと登山をする。」マラソンの成績はクラス団結最大の証。私のエピソード→昭和38年入学の担任を受け持った1年5組はクラスマッチは何も勝てなかったが、マラソンはクラス一致団結、優勝、ヤッタゼ!
    • スキー授業:成島山スキー。歩くだけで往復2時間余。降雪の多い時は腰迄のラッセル。授業の時間なくすぐ帰ったことも。ホントです。
    • 職員東西対抗:松野先生の音頭。年間通してケンカ腰の行事。特に白布マラソンの時の東西対抗駅伝は必死。練習も真剣。なぜなら負けると、宿泊だから一晩中いや翌日帰るまで頭が上がらない。
    • 職員ツアースキー:岩槻先生(故人)がリーダー。職員20余名が参加の栂森ツアー。 ツアースキー仲間の岩槻先生、安部徳一先生、本間和夫先生(いずれも故人)、そこにちょこっと土澤入っての、吾妻縦走(西→東)ツアー等、忘れ得ぬ思い出。
    • 口角泡を飛ばした職員会議:教員は若く教育は自由。討論はまさに口角泡を飛ばし、激しいものでしたぞ。もちろん、校長・平職、先輩・後輩の秩序は厳しかったが、現今の「管理体制」とは根本的にワケが違う。今30年代の教育が戻ってくれば、「教育再生会議」などというものは不要。
  7. 同窓・・・同じ屋根の下に集い、学び、騒ぎ、感涙しあった仲間。年経るにつれて尚その絆は強まっていく。興譲館、それがいつ頃からかばらつき始め、今平成も20年。「学年」としてのまとまり、集合等はどうなのか。特に平成卒の実態を早期に把握して、同窓の仲間として、先輩として手段を講ずる必要を痛感しますが、いかがでしょうか・・・。
    同窓会は無くても生きていかれるかもしれないが、人生の中で、同窓の絆、仲間意識の占める重さは大であると思っております。