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伊達と上杉 二つの宝・米沢伊達氏案内人・椎野健作さん(S40卒)
(2017年9月29日山形新聞より)


米沢伊達氏案内人・椎野健作さん(S40卒)

 生誕450年政宗の古里 ■ 仙台と連携、もっとPR

 伊達政宗生誕450年を記念し、仙台藩志会主催の講演会が9日、仙台市で開催されました。佐藤憲一元仙台市博物館館長が「父輝宗・母義姫と政宗」をテーマに伊達家18代当主伊達泰宗氏は「現代に伝える(伊達なり)の心」と題してそれぞれ講演し、900人を超す参加者が興味深く聴きました。米沢市出身の私は主催者の要請で、政宗公の生誕地米沢の皆さんの参加や会報への寄稿依頼、当日の案内など、仙台と米沢の懸け橋としてお手伝いをさせていただきました。

 東日本大震災の1年前から2015年5月まで仙台市博物館のガイドを務めていました。「海外における支倉常長」を研究してみたいという願望が出発点です。慶長遣欧使節の出帆400年と「関係資料」のユネスコ世界記憶遺産登録を記念した2013年の「伊達政宗の夢−慶長遣欧使節と南蛮文化」展はとても感動的な出会いを私にもたらしました。海外で尊敬される常長の姿が鮮明に浮かび上がったのです。

 同じ年に、常長が生まれたとされる米沢市関地区(立石)に地元の保存会が「支倉常長と関の立石」案内板を設置し、翌年には「支倉常長生誕之地歴史資料館」が開設されました。式典には支倉家13代当主が出席しています。私も関小の子供たちや保存会の皆様に「常長の人物」を紹介する機会を得て、この頃から仙台市民向けの米沢ツアーを組み、米沢伊達案内人の活動を本格化しました。

 一方、米沢市教育委員会が10年度に着手した「舘山城跡」の発掘調査は大きな関心を呼び、長い間、政宗公の米沢支配時代の本拠はどこかという論争に一石を投じました。昨年春に国指定史跡になり、「古里の宝」が一つ増えました。近隣の城館との関連などさらなる解明が待たれるところですが、ご当地以外から関心を持たれていることも忘れてはならないと思います。

 今年はNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」が放映されて30年を数えます。年間視聴率39.7%は、いまだ破られていません。全50話のうち29話で米沢時代が描かれています。この政宗公の24年間は生涯の3分の1強を占め、全国の政宗ファンが特に注目するところと言えます。

 昨年秋に米沢市上杉博物館では「伊達市と上杉氏」の特別展が開催されました。初日に訪れたとき、学芸員に一人の青年が「私は小学、中学と米沢で学んだが、伊達政宗が米沢に生まれ育ち、国を治めたことを誰にも教わっていない。どうしてか」との質問を投げかけていたのを覚えています。今年、仙台市博物館が作成し、市内の全ての小学5・6年生に無償配布された冊子「よくわかる!伊達政宗」の活用や、米沢と仙台の子どもたちの交流などを通じて相互の認識、理解が促進されることを期待します。

 歴史的に伊達と上杉は敵対した時期がありましたが、米沢は中世は伊達、近世は上杉という二つの「宝」を生かすべきだと思います。「上杉の城下町」と、30年前に米沢駅前に掲げた「独眼竜のふるさと」の両看板を掲げてはどうでしょうか。米沢への「伊達の訪問者」にもう少し気遣いと優しさを持ってほしいと感じているのは私だけではないと思います。仙台と米沢の姉妹都市提携が今の子どもたち同士で出来ることを念願し、米沢伊達氏案内人を続けていきたいと思います。(仙台市在住)