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猛稽古で強豪へ導く・左沢鍛えた「鬼」剣士・斎藤学監督(70・S41卒)
(2017年8月8日読売新聞山形版より)


斎藤学監督(70・S41卒)

 高校で剣道の指導を始めて47年。南東北総体の剣道は仙台市で10〜12日に競技が行われ、左沢高の教え子たちを率いて臨む。

 「もう、そんな時間が過ぎたか。まあ、勝たせるための準備をするだけ。特別な思いはないね」。2日に人生の節目「古希」(70歳)を迎えた老剣士に気負いはない。

 米沢興譲館高を卒業後、日本体育大で技術や知識を学び、指導者人生をスタートさせたのが1970年。新採教諭として剣道の強豪校、寒河江高に赴任し、顧問に就いた。後に“稽古の鬼”の異名をとる猛稽古で部員らを鍛え上げ、72年に県内で開催されたインターハイへ、同校の女子団体では3度目の出場に導いた。優勝こそ逃したものの、堂々の準優勝。指導者としてその名を全国にとどろかせた。

 順風満帆だった鬼が頭を抱えたのが、左沢高に異動した77年のこと。「左沢を日本一にするんだ、と意気込んだのが裏目に出ましてね」。無名校の左沢では、「鬼が来たぞ」と恐れをなした剣道部員たちが女子マネージャー2人を残して逃げ去った。

 教える相手がいなければ腕の見せ場もない。剣道の経験のある生徒を説得して部員を集めた。猛稽古で退部が相次いでは、またかき集めの繰り返しだったが、80年夏のインターハイに初出場を果たした。

 稽古の鬼の面目躍如で、さらに指導にのめり込んだ。自宅を増改築して寮と剣道場を設け、炊事、洗濯、掃除などを行う共同生活の中で部員の心も鍛えた。

 「妻もあきれていたよ。稽古の声がうるさくて、ご近所にも迷惑をかけたなあ」

 しかし、勝つ喜びを知った部員たちは鬼のしごきに耐え、県下屈指の剣道部に育った。中でも女子は団体戦で36回のインターハイ出場に導いた。そのうち92年と98年で優勝した。92年は全国高校選抜と国体も制して3冠に輝いた。

 同校の剣道場には、茶色く変色した模造紙に「厳しく」「激しく」「明るく」と墨書きされた部の目標が張り出されている。30年ほど前に自らの勝負哲学をしたためた。「真っ向勝負」の左沢剣道の心意気を伝えるものだ。

 「やるからには日本一になる。ただ、究極の目的は人間形成です」。歴代の教え子の中から、指導者を志す者も少なくない。92年のインターハイ出場メンバーの一人で、現在は宮城県立柴田高で監督を務める佐藤加奈子教諭が、南東北総体に選手たちを率いてやってくる。

 「教え子が指導者として活躍し、同じ全国の舞台に立てるのはうれしい」。顔をほころばせつつも、眼鏡の奥では勝負師の目が光っていた。