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ぐるっと東北 母校をたずねる 県立米沢興譲館高校-8
他人に役立つ人生誓う 農民詩人・星寛治さん=1953年度卒
(2017年7月21日毎日新聞東北版より)


農民詩人・星寛治さん=1953年度卒

 「まほろばの里」と呼ばれる高畠町で有機農業に先駆的に取り組み、詩を作り続けてきた星寛治さん(81)=1953年度卒。家業を継いだ当初は「将来が見えなかった」という。米とリンゴを生産する労働の中から農民の誇りを見いだし、地域づくりを手始めに、人間の生き方や社会のあり方を発信し続けている。

【佐藤良一記者・S52卒】

  高畠町から米沢まで、16キロの道のりを毎日、自転車で通学したことを今でも覚えています。当時は野球部が強く、県大会で2連覇しました。その時のエースが同級生だった皆川睦雄君です。プロ入りして南海ホークスの名投手として活躍し、後に野球殿堂入りしました。  

 私は文芸部で創作活動を始め、学校新聞「興譲」に詩が掲載されたこともありました。先生や親に内緒で映画館に通いましたね。「二十四の瞳」など、木下恵介監督の映画が大好きでした。

 3年の夏休みを過ぎると、学校は受験勉強一色。私も進学したかった。でも、弟妹を抱えた貧しい農家の長男です。父が頼んだのでしょう、担任から進学を諦めるように説得され、大学への夢を断念しました。農業を継いだのは学年で2人だけでした。

 卒業後は敗北感からのスタートとなりました。新米農家だった1年ほどは、もんもんとして、つらい肉体労働の日々でした。見かねた父が耕運機を買ってくれました。初めて使った光景は忘れられません。当時は珍しかったエンジン音が農地に響き渡りましたね。

 翌年、成人の日の1月15日。朝日が昇ってくる情景を眺めていて、目が覚めました。「いつまでもふて腐れていないで、新しい生き方を始めよう」。そう心に誓いました。まずは友人と一緒に読書会を設立。村づくりのスタートです。畑仕事を手伝った賃金で宮沢賢治全集を購入し、賢治の世界に没頭したのもその頃です。

 その後、青年団活動にまい進。20代から30代にかけ、過労のために十二指腸潰瘍を4回患いました。28歳の時には体内の半量以上の輸血も受け、死の淵(ふち)からよみがえったのです。これからは、他人のために役立つ人生を貫こうと決意しました。大病から得た教訓は、「興譲の精神」にも重なります。

 ライフワークとして、仲間と有機農業を始め、教育の一環として農業体験する小中学校の学校農園を復活。町の審議会委員などを務めて住民参加の地域づくりを進めてきました。幸せなことに、孫3人がそれぞれの課題を継いでくれそうです。

 経済成長に頼らない地域社会のあり方が模索される時代です。興譲館を創設した第九代米沢藩主・上杉鷹山公は、食べられる野草などを用いた料理の手引書「かてもの」をまとめ、配布しました。藩内の自給を目指したこうした活動は、改めて注目されています。食やエネルギーの自給・自立を目指し、米沢を中心とした置賜地方で取り組んでいる「置賜自給圏構想」に期待しています。

 ほし・かんじ 1935年、高畠町生まれ。中学時代から詩作を始める。高校卒業後、家業の農業を継ぎ、73年、町有機農業研究会を設立。74年から新聞で連載された有吉佐和子の「複合汚染」で、同町の有機農業が紹介される。83〜99年、町教育委員長。全国での講演は2000回を超え、「農から明日を読む」、詩集「種を播く人」など著書も多数。


「興譲とは」を熱く議論してきた年間誌「興譲」

息づく「興譲の精神」

 「興譲」とは−−。米沢興譲館高が発行する年刊誌「興譲」の中で熱く語られているテーマだ。「本来の勉強とは」「社会に役立つとは」などと、繰り返し議論されてきた。  

 第19代校長の千喜良英之助が1956年、論文「興譲館精神」を開校70年誌に発表し、「それは、失われた過去の単なる遺物であろうか」と教師や生徒に問いかけた。87年には「興譲の精神」として、(1)自他の生命を尊重する(2)己を磨き誠を尽くす(3)世のために尽くす−−がまとまり、学校の教育精神となった。

 上杉鷹山の師だった儒学者・細井平洲が学館を「興譲館」と命名したのは、学問のための学問ではなく、社会に役立つ人間育成の場とする狙いがあったという。

 横戸隆・現校長は、その伝統を踏まえ「興譲館には立派な先輩方がたくさんいる。先人たちに学び、3年の高校生活で頭と心と体を鍛え、人間的な魅力をつけること」。そして「自分の幸せと共に世のため人のために尽くせる人間を育てることが興譲館の使命だと考えている」と話す。

【佐藤良一記者・S52卒】


 ■卒業生「私の思い出」募集

 県立米沢興譲館高校卒業生の皆さんの「私の思い出」を募集します。300字程度で学校生活や恩師、友人との思い出、またその後の人生に与えた影響などをお書きください。卒業年度、氏名、生年月日、職業、電話番号、あればメールアドレスを明記の上、〒100-8051、毎日新聞地方部「母校」係(住所不要)へ。メールの場合はtohoku@mainichi.co.jpへ。いただいた「思い出」は紙面や、毎日新聞ニュースサイトで紹介することがあります。


第7回 先輩、後輩みな「君づけ」・小嶋総本店社長・小嶋健市郎さん

第9回 卒業生、私の思い出