昭和58年卒同窓会・実行委員長感想版(2015年4月11日)
写真撮影:小原吉徳君
昭和58卒3年1組=米沢市・上杉城史苑 (撮影:小原吉徳君)
昨年、米沢興譲館同窓会懇親会実行委員会幹事学年にあたったことをきっかけに、
このたびの昭和58年卒同窓会の実施にこぎつけた。
なんと15年ぶりの開催とあって、はたしてどれだけの同窓生が参加してくれるか、何より、音信不通・住所不明な同窓生をどれだけ把握、そして案内できるか、昨年秋の
準備から、不安があった。
年末から3月にかけて、実行委員長である私は家業の都合で幹事会には参加できなかったが
やり取りをメールで見ているうちに、不安は解消されていった。各クラスからの代表の幹事の
大きな尽力があり、住所が次々に解明され、名簿が整っていったからである。
4月はじめ、80人越えの知らせ、そして開催1週間前、90人の知らせ。すばらしい、それこそ
「なせばなる」を各幹事に具現化して頂いた。ありがとう。
当日は新興譲館の視察ツアーを実施、まったく別の高校と思いきや、玄関には同級生が作製した絵がかけられていた。期せずして本人がツアーに参加しており、作品との感動の再開となった ことは偶然にしては出来すぎたエピソードであった。 (この絵は在学中に描いたものではなく旧校舎が壊されるにあたって描いたもの)
懐かしい絵との感動の再会・加賀谷(旧姓・二瓶)みどりさん
上杉城史苑での大宴会、恩師との語らいもそこそこに、懐かしい面々と時を過ぎるのも忘れて語らった。
2次会、70名のこれまた大宴会、私の中では「空前絶後」の2次会であった。楽しさのあまり、どんどん
壊れていった同級生が続出、よっぽど楽しかったんだろうと思う。
(介抱してくれたメンバー、ありがとう)
80年代の初め、たった3年間を共に過ごしただけで、一生のつながりと感じてしまう、青春時代の仲間との出会いは
それほど影響が大きいのだろう。
とはいえ楽しいことだけではなかった高校時代を過ごした同級生も
いるだろう。やんちゃに明け暮れた同級生もいるだろう。勉学を極めた同級生もいるだろう。
しかし、それぞれの「興譲館の3年間」はそれぞれに「真実」だと思う。
今回参加できなかった同窓生、いつかの開催を楽しみにしていて欲しい。
今回参加して楽しかった同窓生、また楽しく飲もうぜ。
いつかまた皆が一同に会する集いを催したいものだ。それまでに自分が今よりももっと成長していなくては
と思った春まだ浅い平成27年50歳の自分である。
昭和58年卒同窓会実行委員長 遠藤友紀雄