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都会にない自然、言語 吉本隆明が米沢で得たもの 斎藤清一さん(S36卒) 
(2012年4月16日山形新聞)

吉本隆明にインタビューする著者

吉本隆明(左)にインタビューする斎藤清一さん(S36卒)

 戦後日本の思想・文学に多大な影響を与え“知の巨人”と評された吉本隆明がこの3月16日、他界した。彼は1942(昭和17)年、山形大学工学部の前身・米沢高等工業学校に入学、44年に卒業するまでの2年半、この米沢で多感な青春時代を過ごしている。吉本に、この地での生活が何を与えたかということを考えてみたい。
 彼が生まれてからずっと生活してきた東京から離れたわけであるが、それはなによりもまず第二の乳離れを意味した。米沢高等工業入学と同時に寮生活に入り、そこで寮生の一人から宮沢賢治の作品を紹介され、ついに賢治の生誕の地花巻まで訪れることになった。
 また米沢の地を取り巻く丘陵から、その後方に並んでいる吾妻連峰にいたる「自然」の印象は、東京での生活にはなかったもので、米沢の生活からはなれてからも「人間と人間との入り組んだ心の関係、人間と社会との矛盾の奥深くのめり込んでどうにもならないとき、その風景の印象は、わたしの思考を正常さに戻してくれた」と述べている。また「峠」というものは東京ではどういうものかわかっていなかったのだが、米沢に来てはじめてそれがちゃんとわかり、彼は時間にゆとりがあると学寮から白布温泉に続く船坂峠によく出かけたという。

 雪への思い
 彼はまた雪の思い出として次のように書いている「東京では雪は珍しく、なんとなく子どもの頃をおもい出して、浮きうきした気分になったものだが、ここでは雪は人に笑いを浮かべさせたり、愉しませたりするところは微塵もなくて、遊びなどこの世にないんだ、真面目にやれと凄まれているような気がした。おなじ雪がこんなに違うものなのかとはじめて合点した。だから三月のおわり、どことなく周囲がざわめき、あかるさがまし、天候がゆるみはじめると、ながい冬の蟄居から解き放たれる感じが、どんなに嬉しいものかはじめて体験した。何かいいことがありそうな気分になり、春というのはこんなにもいいものなんだという実感がわいた。これもまた東京では切実でないものが、こんなにも痛切なのかというおもいにつながった」(「米沢の生活」)

 飲酒の習慣
 米沢の学校へ行って覚えてよかったと振り返る大きな体験は、飲酒だった。「飲酒の習慣がなかったら生涯はだいぶ味気なくなったにちがいない」と書いている。そのときのことを次のようにつづっている「入学と同時に一年間全寮制の寮生活がはじまったが、はじめの十日間ぐらい、毎晩のように深夜になると酔って酒の一升ビン入りをもった上級生から叩き起こされて、あまり内容のない説教をくわされながら、酒のまわし飲みを強要された。飲みっぷりがいいと、そうだ、よし!とほめられる。無理矢理のまわし飲みだが、不愉快でなかった。これは飲まなければやりきれない過剰なものの処理法みたいなもので、何でも意味がついてしまう若い上げ潮みたいにおもえて愉しかった。一晩に二組も三組も上級生がやってきて、説教しては酒のまわし飲みを振舞って去ってゆく。十日間くらいはろくに眠ることもできないほどだったが、それでも実家を離れた淋しさが、まぎれるおもいで愉しかった」(「お酒の話」)

 時間の遅さ
 寮の食事の米もなくなったとき、吉本は町を外れた農家へ買い出しに行く。米沢市内の言葉だったら全部わかり、自分でもしゃべれると思っていた吉本だったが、農家の人にべらべらしゃべられたら、全然理解できない。同じ日本語ならわかるなどと思っていたのは大間違いだという経験があり、そういう言語感覚が、後日の言語論のスタートになったと彼は話している。さらに米沢では都会で流れている時間とくらべて、時間の遅さというものを初めて体験したという。
 そして後年、彼は知人と酒宴などの時にはよくアカペラで現在の県民歌「最上川」を歌ったという。「広き野をながれゆけども最上川 うみに入るまでにごらざりけり」というこの歌は、寮の近くにあった小学校の校庭から響く児童の歌を耳にしておぼえたものだった。 (元九里学園高教諭 米沢市)

※斎藤清一(さいとう・せいいち)氏は1943年米沢市生まれ。東北大学文学部卒業後。米沢女子高(現九里学園高)に勤務。2003年に退職。著書に、吉本隆明の米沢での足跡を調べた「米沢時代の吉本隆明」

※吉本隆明(よしもと・たかあき、男性、1924年(大正13年)11月25日 - 2012年(平成24年)3月16日)は、日本の思想家、詩人、評論家、東京工業大学世界文明センター特任教授(講義はビデオ出演のみ)。日本の言論界を長年リードし、「戦後思想界の巨人」と呼ばれる他、右派の江藤淳に対して左派の論陣を張り、両者は戦後最後の「批評家」と評されている。血液型はA型。「隆明」を音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い(有職読み)。漫画家のハルノ宵子は長女。 作家のよしもとばななは次女。(ウィキペディアより)

4月19日山形新聞