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まだ神髄、極められない 剣道教士七段、道場館長の歯科医院長 三條貞夫さん(S45卒)
(2011年12月11日山形新聞)

三條貞夫さん
「まだまだ剣道の神髄は極められない」と話す三條貞夫さん(S45卒)
=米沢市・三條かの記念館

 三條歯科医院長の三條貞夫さん(58・S45卒)=米沢市城南一丁目=は剣道の達人。教士七段の腕前で、診察の傍ら週2回のけいこで汗を流す。得意技は面。国体に4度の出場経験があり、近くの三條かの記念館を道場とする剣道教室「米沢恒武館」の館長として、青少年の指導にも力を注ぐ。
 三條さんが剣道を始めたのは小学生のころ。父親の影響で米沢署の剣道教室に通うようになった。「高校生が格好良かった。自分もああなりたいと思った」。剣道にのめり込むきっかけは、年上の選手に対するあこがれだった。
 進学した米沢二中には剣道部がなく吹奏楽部に入部。3年間のブランクを経て、本格的な競技人生を歩み始めたのは米沢興譲館高入学後だ。主将を務め、全国高校総体(インターハイ)にも出場した。
 大学時代も剣道部で主将を務め、卒業後は福島県郡山市での修業を経て29歳で帰郷し開業。同時に、父親から恒武館を引き継ぎ、後進の指導も担うようになった。以来、卒業生は約300人超。現在は小中学生60人、社会人が20人所属する。三條さん自身も指導と研さんのため火曜日と金曜日の週2回、子どもたちや社会人と竹刀を交える。
 剣道の魅力を「礼儀作法や相手を敬う心を学べる点」と語る三條さん。「われわれは先達からそれを受け継ぎ、次代に教える必要がある」とも。教士七段と言えば、もう敵はいないかとも思われるが、「剣道は年齢を重ねれば重ねるほど強くなる。60代、70代の先輩にはかなわない。本当に奥深い。まだまだ神髄は極められない」。見ている人の心に響く剣道を実践するため、さらにけいこに励むつもりだ。

12月11日山形新聞