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フェンシング女子エペ団体初「金」貢献の池田選手(県体協・H10卒) 
(2011年11月24日山形新聞)

女子エペ団体で中国を破って金メダルを獲得
女子エペ団体で中国を破って金メダルを獲得し、喜ぶ(左から)下大川、中野、池田めぐみ(県体育協会・H10卒)
=広州大体育館(共同)

池田(県体協・H10卒)が団体金 フェンシング女子エペ日本
 広州アジア大会12日(23日)は、フェンシング女子エペ団体で、池田めぐみ(県体育協会)がメンバー入りしている日本が強豪・中国を36-29で下し、初優勝した。フェンシングの女子団体では初の頂点。池田は21-21の同点で迎えた最終試合に15ポイントを奪い、勝利の立役者となった。
これで恩返しできる 池田めぐみの話
 あとは自分が締めるだけだと思って最後の試合に臨んだ。監督やコーチら支えてきてくれた人にこれで恩返しができるという思い。(共同) 

力一つに日本「金」 女子エペ団体 気迫満点 池田(県体育協会)突き放す
▽女子エペ団体準々決勝
日本(池田、下大川、中野) 45−29 キルギス
▽同準決勝
日本 36-32 香港
中国 73-28 韓国
▽同決勝
日本 36-29 中国

 全身を突いて得点できるため分かりやすく、世界で最も層が厚いエペで、3人の力を一つにして快挙を成し遂げた。フェンシング女子団体で日本初の金メダル。22歳の下大川が序盤で点を重ねて中国のリズムを崩した。一度はリードを奪われたが個人銀メダルの中野が追いつき、最後はエースの池田めぐみ(県体育協会・H10卒)が突き放した。
 最後の3巡目、2点をリードされた状態で中野は尹明芳との対戦を迎えた。勢いに乗る24歳は「得意な相手。この点差なら何とかなる」と腕いっぱいに伸ばし、飛びこむアタックを連発。21-21とした。引き継いだ31歳の池田も「自分が締めるだけ」と気迫満点だった。接近戦でも巧みにコントロールした剣先で相手を突いた。中国に大声援が注がれるなか、15点を重ねて振り切った。
 日本では北京五輪銀メダリストの太田が率いる男子フルーレが注目されがち。池田は「男子がどんどん強くなるのがうらやましいと思ったが、引っ張ってくれたからこそ、自分たちが頑張ることができた」と胸を張った。2年後のロンドン五輪に向けて、フルーレやサーブルとの強化費争いでもアピールできる優勝だった。(共同)

中野希望、池田めぐみ、下大川綾華の3選手
女子エペ団体で金メダルを獲得した(左から)中野希望、池田めぐみ、下大川綾華の3選手=広州大体育館(共同)

フェンシング女子エペ団体 初「金」貢献の池田選手 快挙に笑顔の関係者
 広州アジア大会フェンシング女子エペ団体で23日、池田めぐみ選手(31・H10卒)=県体育協会=がメンバー入りしている日本が、強豪・中国を36-29で下し、優勝を果たした。池田選手は同点で迎えた最終試合でポイントを奪い、勝利に大きく貢献。フェンシングの女子団体ではアジア大会初の栄冠を手にした。関係者は「レベルの高い中国に勝てたのは大きい」「本当に頑張った」などとねぎらった。
 池田選手は、2004年アテネ五輪、08年北京五輪と2大会連続で五輪に出場。アテネでは2回戦で惜敗し、16強入りを逃した。前回の06年ドーハ・アジア大会も代表に選ばれたものの、直前に開かれた07年のナショナルチーム最終選考会の試合中に、左ひざ前十字靱帯(じんたい)を断裂。代表を辞退したが、08年北京五輪では見事に復活を果たし、日本勢過去最高の15位に入った。
 「プラス思考と研究熱心」。米沢興譲館高で3年間指導した小原秀樹監督(45)は、池田選手の強さをこう話す。前回大会直前にけがをした時のことを振り返り、「自分から駄目だとは絶対に言わない。けがもプラスにできる選手。自分なりにフォームを変えたり、ほかの選手がやらないことを取り入れたりもしている。本当に前しか向いていない」と語った。
 アジア大会は、3人総当たりの9試合をリレー方式で行う。池田選手は初戦と5番目、最後の3試合に登場21-21の同点で迎えた最終試合には、15ポイントを奪い、勝利の立役者となった。小原監督は「普通は、一番信頼のおける選手を最後に持ってくるように順番を組む。中国の選手は身長が高く、ポイントを取るのは大変だったと思うが、よく頑張った。本当に素晴らしい」と成長を喜んだ。
 池田選手の乳原田正夫さん(60)と母祥子さん(59)は、南陽市椚塚の自宅で応援。パソコンでフェンシング連盟のホームページ(HP)を見て、随時試合結果をチェックした。決勝進出が決まると、祥子さんは池田選手が個人で8強入りを逃して悔しがっていたことから、「思う存分闘志をよみがえらせてほしい」とメールでエールを送った。決勝が始まると、HPに結果が表示されるのを今か今かと待ち続けた。午後9時半過ぎ、優勝の一方に触れた2人は「本当によかった」「たいしたもんだ」と笑顔。正夫さんは「レベルの高い中国に勝てたのは大きい。まずはひと安心」とうれしそうに話した。

11月24日山形新聞3
2010年11月24日山形新聞1面

11月24日山形新聞1
2010年11月24日山形新聞16面

11月24日山形新聞2
2010年11月24日山形新聞23面

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