ある日航社員の転身・亀井秀介さん(S62卒) (2010年2月20日朝日新聞掲載記事)
山形県朝日町観光協会の観光振興推進員、亀井秀介さん(S62卒)はこのところ、日本航空のかつての同僚から「いいときに辞めたな」と冷やかされている。
同県南陽市の出身。東京の大学を出て18年間、日航で客室乗務員などとして働いた。昨年のいまごろ、インターネットで観光振興推進員の初の募集を知って手を挙げ、4月から採用された。
日航時代に世界三十数カ国を訪れた。中でもドイツやフランスなどでみた田園風景の美しさにひかれた。古い町並みを大切に残し、田舎でも人々は生き生きと暮らしているように映った。
一方、たまに帰る古里は農村から若い人が出ていってお年寄りが多く、活気がない。「山形の自然と食、農を生かせないか」という思いと、「このまま定年を迎えても満足できるだろうか」という疑問が、40歳の転身を後押しした。
給料は3分の1に減ったが、職場から歩いて5分の町営住宅に住み、その分、自分の時間が増えた。いつも仕事に追われる感じがなくなり、何でも自分で考えて動く。気持ちにゆとりが生まれた。
朝日連峰の東側にある町は「りんごとワインの里」を売り物にする。新しい観光資源を発掘しようと、まずは町内を歩き回った。その成果をにぎわいや元気に結びつけるのが今後の目標だ。
日航再建の中核を担う年代になった同期の友からは「歯を食いしばって、がんばっている」という声が届く。古里再生にも似たところがある。